風見しんごさんインタビュー
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勇気凛凛 介護のちょこっといい話

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Vol.1:大沢逸美さん;ゴールの見えない介護には、心の給水所が必要なんです。

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勇気凛々介護のちょこっといい話 風見しんごさん

風見しんごさん

皆さま(特に私を含む40代半ば以上の方)よくご存知のタレント:風見しんごさんに今年度から当社のイメージ・キャラクターになっていただきました。
風見さんは、お母様とお父様を続けて足掛け20年以上、遠隔地を含め介護をご経験され、そのご経験から近年NHKを始めとする介護や認知症の番組や講演会などに多数出演されています。
そのご経験からのアドバイスと当社が当社保険事業を通じて社会の一助となりたい部分とは合致していると考えたからです。
そのご経験とそれからのアドバイスを2015年4月にインタビューさせていただきました。インタビューは1時間以上と内容の濃いものでしたが、今回はその要約版を掲載いたします。
是非、お読み下さいます様お願い申し上げます。

風見さんは、お母様、お父様のお二人の介護をされた経験がお有りだと聞きました。お二人を合わせるとどのくらいの期間、介護をなさっていたのですか。
母が脳卒中(クモ膜下出血)で倒れてからの6年と、その3~4年後に父の認知症がわかってからの11年で、足掛け21年ですね。
お母様が倒れられたのは23年前?
そうですね、父が亡くなったのが2年前ですから、もう23年になりますね。私が30歳のときでした。
その頃はまだ公的介護保険制度は無かったですよね。
デイサービスすら目にしなかったですね。お手伝いさんをお願いする費用はもちろん、何もかも当然自費でした。
風見さんのご実家は、広島でしたね。介護のために東京から広島に通われたのですか。
毎週末、広島に戻ってましたが、平日は主に父が面倒を見てました。まだ53歳でしたし元気でしたから。
鉄工所を経営していたんですが、ちょうどバブルがはじけた頃で仕事も大変だったとは思うんですよ。まさか50代で妻の介護をすることになるとは思ってなかったでしょうけど。でも会社の人たちや父の友達に助けられたりで何とか。
母は、体は不自由だったけど意識ははっきりしていましたから。寂しい思いはさせたかもしれませんが、理解はしてくれて、週末に私が帰るのを楽しみにもしてくれていました。
お父様の認知症がわかったのは、おいくつの時ですか。
65歳ですね。若年性アルツハイマーでした。父の場合は、気づいたときにはもう症状らしき行動が出てましたから、受診させるのにも苦労しました。
ちゃんと話ができる時は普段どおりの自分ですから、本人は異変に気がつかない。そもそも昭和の頑固オヤジですから自分は平気だと言い張って。 もっと早く診断してもらい、きちんと父に伝えて今後どうすべきかを話すべきだった。それは簡単に受け入れられるものでないかもしれないですけど。認知症ってね、始まってから考えたのではホントに後手後手になってしまうんです。
お母様の介護中やその後でお父様と介護についてなど話し合われていたんですか?
無かったですね。何で話さなかったのかと、一番後悔するところですね。
まだ若かったこともあるんでしょうが、自分の妻の介護をやりとおして自分は平気だ、と言う思いがあったのだと思います。
自分も「まさか両親二人とも介護が必要になる」とは思ってなかった。いくらなんでも、そんな、って思ってました。まったく根拠のない自信を持ってしまったんですね。
母で経験したからこそ、「親父がそうなったらどうして欲しい」と言う話をすべきだった、と今でも思います。
私どもの保険でも、お申込の後にご本人ではなくご家族からお断りの電話が入ることがあるんです。「うちの親は大丈夫だから、まだこんな保険はいらない」と。
母の介護をしている父を見てたから「この元気な父が」と私も思ってました。根拠無いんですけどね。特に認知症は、なってからでは遅いんですけどね。
そのときは、もう介護制度も始まっていた?
ちょうどできた頃ですね。始まったばかりだったので、要介護度の基準もあいまいな感じがしてました。父の場合は、診断された時点で要介護度“2”で、徘徊が始まる頃でした。
そこからは早かったですね。最終的には“5”まで進んで、もう介護というより「医療行為」でした。
在宅介護されていたんですか?
最初の1年くらいは在宅でした。
デイサービスなどにもお世話になったんですが父の年齢でしかも元気だと、何かあったときに女性スタッフでは対処しきれなかったりするんですね。

それが理由だとは言われませんでしたが、なかなか受け入れてくれる施設も見つからないんです。
私も仕事柄東京がメインになりますし、しょっちゅう広島には帰ってましたが後は妻や妻の両親にも広島に来てもらったりして。でも、3年で限界を感じて、だいぶ抵抗されましたが結局、父を東京に連れてくることにしたんです。



ちょうど父の体力が落ちてきたこともあって、地元のお医者さんのはからいで医療系のホームに入れたものですから、その間に都内の施設をいろいろ観て回りました。でもね、まぁ経済的に大変なんですよ、都内だと。体力が戻ったら、やっぱり在宅介護かな、と思ったんですけど、広島から出てきてなじみのない都会で、しかも外出しちゃダメとか、火を使っちゃダメとか、いろんな束縛を受けることになってしまう。それで、父は幸せなんだろうか、って考えましたね。

そんなときに、自宅から離れてはいたんですが千葉県の施設を紹介されまして。父を連れて見に行ったら、父が広島に戻ったと勘違いするくらいのどかな環境でしてね、あ、ここだ!と思ったんです。
それは幸運でしたね。
本当に、いろんな方にお世話になり、助けて頂きました。自分や家族だけではどうにもならなっかたと思います。
風見さんのご経験の中で、これから介護することになるかも知れない、あるいは介護される側になるかもしれない、という方に、何かアドバイスはありますか。
親の介護は子どもである自分がする、という考えは良くわかるし、本当はそうできたらいいと思うんです。でも一人で抱え込んでできることじゃない。他人任せにしたくない、と言う気持ちもわかるんです。でも、それって場合によっては介護する側のエゴになっちゃうこともあると思う。
特に認知症とかだと、専門的な知識も必要になってきますしね。
助けてもらえるところは、助けてもらっていいと思う。助けてもらった方がいいんです。
プロの方の力を借りられるなら借りる、そうしないと介護する側もそして介護される側からも笑顔がなくなってしまう。
介護って、本当に大変なんです。でもふとした一瞬でもいいので、どこかに笑顔がないとダメ。
頼れるなら、頼ってしまう?
そうなんです。でも、そのためには準備が必要だなって。なってからでは、とにかく後手に回ってしまい、介護する側もされる側も、余計に辛いことになってしまいますから。

どんどん高齢者が増えてくる時代でしょ。「自分は平気」みたいな根拠のない自信にしがみついてて、気がついたら、周りもみんな介護が必要な人ばかりになってるかもしれない。
今から準備しておいて、その準備が無駄になったらそれは凄く幸せなことじゃないですか。
施設を探すと言っても、まずなかなか見つからない。いいなと思っても、順番待ちで入れるまで何年かかるかわからない、っていうことが本当にあるんですから。

大きなことばかりじゃないです。
ちょっとしたことでも助けを得られれば、その安心が凄く大切になる。
とにかく、なってから考えはじめるのでは、その大変さは大きくなるばかりですから。
介護は「もしもの時」ではなく、「なることを前提」にして準備を進めると言うことですね。本日は、ありがとうございました。


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